melancholy

2002年1月20日
今まで生きてきた中で、「しまった!」と思う失敗は数え切れない。その中でも物の捉え方を一変させた出来事があった。

それは自分と境遇の全く違う人に対しては、その人の身になって会話するという事は差別であり、同情してもその人は救われないという事だ。

もう何年か前の話になるけど、鬱病の人に会った事がある。その時は何かのサイトのオフ会で、他のメンバーの中では何度か会った人もいるが、その人とは初対面であった。

たまたま帰り道も一緒だった事もあり、色々と話を聞いたのだけれども、傍目からしたら鬱病というのは全く感じない。お互いに普通に話して、普通に笑う。周りにいる友達と全く変わる事はない。

だから、鬱病という物は気持ちの持ちようなのでないのか??

そういう風に思ってしまった。もちろん、それは大きな間違いだった。

だから、思わずというか、無知だったゆえだろうか、「大丈夫治るよ」とか、「気分の問題だよ」とか、「***を辞めちゃだめじゃない?」とか、今にしてはとてもではないけれども信じられない事を話していた。

それが相手を傷つけたかどうかは知らない。とにかくその日はそれぞれ別れた。

後日、その人の運営するサイトに日記がある事を知り、読んでみた。


ショックだった。


明らかに住む世界が違ってた。考え方、生活の仕方、心の落ち着かせ方、何もかも違った。あの帰り道、僕が言った言葉はその人にとってはもう聞き飽きている事項だったかもしれない。慰めとか同情というのは、その人を傷つけるものではないだろうか?所詮、鬱になったことない、鬱であることがどういうことか分からない人が言っても、解決にならないであろう。結局は差別しているだけだったのかも知れないと思いはじめた。

それ以後、僕はどんな事に対しても差別しないでいこうと思ってる。人が障害や病を持とうとそれは個性だ。僕の持ってる個性と変わらない。

バリアフリーとか言われているけど、施設の充実と同時に皆の心がバリアフリーにならないと、いつまでも差別は残り続けるだろう。

>美羽さん
ありがとうございます。
折を見ては時々曲を紹介しますね。
さて、こちらも(?)ラストスパートです。

コメント

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